今年度の特別展「古写真が語る敦賀―うつりゆく「大敦賀」のまちなみ―」の第1章では、「近代敦賀の華」と題し、敦賀港、鉄道、そして敦賀の名所の古写真や関連する資料を展示いたしました。今回はその中から、『国際通路写真帖』という資料をご紹介します。


 『国際通路写真帖』は北日本汽船株式会社が1933(昭和8)年10月に製作した写真帖で、中には欧亜連絡国際通路で経由する主要都市などの写真18点が納められています。奥付はなく、同社が何のためにこの写真帖を製作したのかも定かではありません。

 北日本汽船株式会社は、最初、大阪商船株式会社・山本久右衛門・本間合名会社の持つ樺太・北海道方面の航路を統一して運営するために1914(大正3)年に発足した会社です。発足後、徐々に定期航路を増やし、1928(昭和3)年には敦賀―清津航路を開設、翌年に敦賀―ウラジオストク航路を継承しました。同年、大阪商船株式会社の元社員であった野村治一良が社長に就任しています。

『国際通路写真帖』は、最初に野村治一良の「欧亜連絡国際通路に就て」と題した前書きがあり、次に欧亜連絡国際通路の路線図が折り込まれています。写真は全て黒い台紙に貼られ、その上に薄紙でキャプションが付されています。以下に、納められている写真とそのキャプションをまとめました。(一部異体字を新字に改めています。)

 写真帖に納められている写真は、全て欧亜国際連絡通路の経由地、特に港は北日本汽船株式会社の船舶が入港している場面が写されています。同社の船によって敦賀からウラジオストク及び清津、羅津、雄基の各港に繋がっていることを強調しているのでしょう。また、当時まだ開発の途上にあった朝鮮各港の今後の発展を匂わすような口ぶりも印象的です。一方で、写真の中にはピンボケしているものも多く、現像の具合か、見にくい感があるのは否めません。キャプションの内容もさして特筆すべきものはないでしょう。

 以上の通り、『国際通路写真帖』は写真からも文字からも得られる情報が少ない資料といえます。しかし、この写真帖をいざ目の前にして見てみると、金色の布張りをした分厚い表紙や、仰々しいほど立派な綴り紐から、欧亜連絡国際通路にかける北日本汽船株式会社の意気込みが感じられます。前書きで同社社長・野村治一良は、以下のように記しています。

 現在敦賀浦塩間欧亜連絡航路には天草丸を配し敦賀、清津、羅津、雄基間の日本海日満連絡航路には満洲丸と運行せるも将来国運の進展に伴ひ順次施設の充実を期し其使命を完ふせんことを専念し居れり。

 満洲国の建国が宣言され、日本が政治的・経済的・軍事的な満洲侵出を進めるなか、敦賀―ウラジオストク線や敦賀―清津線にかける北日本汽船株式会社の思いはひとしおだったことでしょう。『国際通路写真帖』はそんな戦間期の敦賀港を象徴する資料の一つと言えるのではないでしょうか。

〈参考文献〉
北日本汽船株式会社(編)『北日本汽船株式会社二十五年史』(1939年、北日本汽船株式会社)
敦賀市史編さん委員会(編)『敦賀市史 通史編 下巻』(1988年、敦賀市)
福井県(編)『福井県史 通史編六 近現代二』(1996年、福井県)