重要文化財・旧大和田銀行本店本館は、敦賀の実業家、二代目大和田荘七によって創業された大和田銀行の本店建物です。
1925年(大正14)に起工、1927年(昭和2)に竣工し、設計は京都の吉田・永瀬建築事務所、施工は清水組(現清水建設)京都支店です。鉄骨レンガ造一部鉄筋コンクリート造、地上3階、地下1階建の建物で、かつて敦賀の政治経済の中心地であった場所に位置しています。
大和田銀行本店として建設されたこの建物は、その後吸収合併により三和銀行敦賀支店に、その次に福井銀行の敦賀港支店として利用されていましたが、1977年(昭和52)に敦賀市に寄贈され、翌年には敦賀市立歴史民俗資料館としてオープンしました。
しかし、経年劣化による各部位の破損や、構造耐久の脆弱化などが懸念されていたため、2004年(平成16)より現状調査を開始し、2006年(平成18)から3ヶ年かけて本格的な構造調査等を行って、2012年(平成24)から修復工事を開始しました。そして2015年(平成27)、本建物は当時の姿を取り戻し、リニューアルオープンしました。その後2017年(平成29)には国の重要文化財(建造物)に指定され、現在に至ります。
建物概要
名称 旧大和田銀行本店本館
所在地 福井県敦賀市相生町7-8
建築年代 昭和2年竣工
設計者 吉田・永瀬建築事務所(永瀬狂三、吉田克)
施行者 清水組(現清水建設)京都支店
指定区分 国指定重要文化財(建造物)
鉄骨レンガ・一部鉄筋コンクリート造、地上3階地下1階、延床面積1,417.7㎡
二代目 大和田荘七
大和田銀行の創業者である二代目大和田荘七は、1857年(安政4)に敦賀の薬屋の末っ子として生まれました(幼名・亀次郎)。亀次郎は幼少期、体が弱く、寺子屋にも通えていませんでしたが、数学が得意で、将来は数学者になる夢を抱いていました。明治の世になり、ようやく亀次郎が小学校に通えるようになったのは、1873年(明治6)、16歳になった時でした。
そんな亀次郎に転機が訪れたのは、1878年(明治11)のこと。初代大和田荘七の長女万寿と結婚し、大和田家の婿養子になったのです。その9年後の1887年(明治20)には、正式に二代目荘七を襲名しています。
襲名から5年後の1892年(明治25)、荘七は個人経営で大和田銀行を創業しました。これは、長浜—敦賀間の鉄道が全通した後、敦賀が開港場に指定される前という、近代港町敦賀の黎明期にあたります。
大和田銀行はそれまで北陸の金利が比較的高利であったのに対し、大阪などの上方に近い低い金利で貸し出しを行い、客への対応も商家的であったことから、“でっち銀行”と呼ばれていました。さらに、いち早く電話を採用して事務処理のスピード化を図るなど、広く信用を得て顧客を獲得していきました。大阪や武生、金沢などへも支店を置き、1918年(大正7)には株式組織に変更して資本金を300万円に増資、その2年後には500万円に増資するなど、順調に業績を伸ばしていきました。
また、大和田荘七は銀行だけでなく、敦賀の特産品であった縄や筵産業の発展に貢献したり、商工会議所の設立に尽力したりと、他にも多くの業績を残しています。
そんな大和田荘七がこの地に建てたのが、現在敦賀市立博物館として利用されている大和田銀行本店本館です。大和田銀行の本店はこれまでの調査により、後背の蓬莱地籍で建て替わっていることがわかっており、この建物が最後の本店建物となります。1927年(昭和2)の完成当初「摩天閣」と言われたこの建物は、1945年(昭和20)の敦賀空襲にも耐え、終戦後米軍に接収され、三和銀行、福井銀行などの建物として利用されました。
大和田荘七はその後1947年に大分・別府でその生涯を終えました。
年表
年代 | 大和田銀行と大和田荘七 | 近代の敦賀・日本 |
---|---|---|
1857年 安政4年 | 亀次郎(大和田荘七の幼名)誕生 | |
1867年 慶応3年 | 大政奉還 | |
1871年 明治4年 | 廃藩置県(嶺南・今立南条が敦賀県に) | |
1876年 明治9年 | 敦賀県廃止(敦賀を含む嶺南地方が 滋賀県に嶺北地方が石川県に編入) | |
1878年 明治11年 | 亀次郎、初代大和田荘七の養子になる (大和田家長女のますと結婚) | |
1881年 明治14年 | 福井県誕生 | |
1884年 明治17年 | 柳ヶ瀬トンネル開通。 金ヶ崎・長浜間鉄道全通 | |
1887年 明治20年 | 二代目大和田荘七を襲名 | |
1892年 明治25年 | 大和田銀行創業 | |
1899年 明治32年 | 敦賀港が外国貿易港(開港場)に指定される | |
1902年 明治35年 | 敦賀―ウラジオストク間航路開設 | |
1912年 明治45年 | 欧亜国際連絡列車が新橋・ 金ヶ崎間に運行開始 | |
1914年 大正3年 | 第一次世界大戦勃発 | |
1921年 大正10年 | 大和田貯蓄銀行創業 | |
1927年 昭和2年 | 新しい銀行本店(重要文化財・大和田銀行本店本館) | |
1936年 昭和11年 | 大和田銀行、敦賀二十五行を合併 | |
1941年 昭和16年 | 大和田銀行、三方銀行を合併 | 太平洋戦争勃発 |
1943年 昭和18年 | 大和田銀行、大和田貯蓄銀行を合併 | |
1945年 昭和20年 | 大和田銀行本店が三和銀行に吸収合併され、 本店建物は同行敦賀支店に | 敦賀空襲 終戦 |
1947年 昭和22年 | 大和田荘七、大分県にて死去 | |
1962年 昭和37年 | 三和銀行敦賀撤退、建物は 福井銀行敦賀港支店に引き継がれる。 | 敦賀市議会、原発誘致を決議 |
1977年 昭和52年 | 建物が敦賀市に寄贈される | |
1978年 昭和53年 | 敦賀市歴史民俗資料館として開館 | 北陸自動車道敦賀インター完成 |
1991年 平成3年 | ||
1993年 平成5年 | 敦賀市指定文化財となる。敦賀市立博物館に改称 | 高速増殖炉「もんじゅ」白木に完成 |
2012年 平成24年 | 修復工事開始 | |
2015年 平成27年 | 修復工事竣工、 敦賀市立博物館リニューアルオープン | |
2017年 平成29年 | 国の重要文化財に指定される |