先史の人々の交流が目に見えます

 敦賀平野の東側には、弥生時代の遺跡が複数発見されています。国道8号線敦賀バイパス開発時に発掘された吉河遺跡では、たくさんの竪穴式住居とお墓が一緒になった集落が見つかっています。ここでは装飾品の生産がおこなわれていました。勾玉・菅玉や、それらの素材となる加工途中の石材、石の錐や鋸などの工具が見つかっています。もう一つ紹介する遺跡は、中郷公民館建設時に発見された大町田遺跡です。ここは弥生時代の終わりから古墳時代の初めにかけて栄えた集落でした。「鳥の恰好をした2人の人物」が描かれた土器が見つかり、当時の祭り(祈り)の様子を描いたのではないかと考えられています。

 吉河遺跡の玉飾りの素材は碧玉や翡翠で、主に新潟や富山で産出される緑色の石です。そして大町田遺跡では近江、東海地方の特徴的な文様を持った土器が見つかっています。今も近畿と北陸の中継地である敦賀ですが、北前船や鉄道で交易が盛んになる千年以上前の時代に、すでに活発な地域間交流があったようです。

 「遺跡」自体は、なかなか見る機会はありませんが、遺跡から出土した資料は博物館や文化振興課分室で展示されており、かつての生活や交流の様子を教えてくれます。(現在、文化振興課分室で遺物の公開は行っておりません。また、博物館は展示テーマごとに展示資料が変わるため、現在は展示しておりません。)

絵画土器出土時の状況

名称:吉河遺跡・大町田遺跡

年代:弥生時代中期~末期

所在地:吉河・坂ノ下