敦賀に残る軍隊史蹟
コミュニティバス「金山」バス停からほど近く、桜ヶ丘団地の一角に「敦賀連隊史蹟碑」と書かれた記念碑があります。そしてその手前の交差点にあるのが、“敦賀連隊”と呼ばれた歩兵第十九連隊の営門前にあった歩哨舎です。歩哨とは、警備や監視を行うことを指し、戦前はここに警備をする兵士が駐在していたものと思われます。
歩兵第十九連隊はもともと、第三師団に隷属し、名古屋に駐屯していました。しかし、日清戦争後の軍備拡張により福井県に一旅団二個連隊が設置されることになったため、1898年(明治31)、第九師団に転属し、敦賀に移駐されました。 戦前の歩兵連隊は、設置された地域への経済効果が期待されたため、多くの市町が連隊誘致に乗り出しており、敦賀町でも大和田荘七らを中心に連隊誘致運動が進められました。 しかし、第十九連隊の敦賀誘致にあたっては、一つの問題がありました。兵営の建設予定地である地域が、井ノ口川が増水した際の放水地だったので、新たに堤防を築く必要があったのです。この堤防工事費用の負担を巡り、陸軍省と県の間で対立がありました。 戦後、金山兵営は米軍が進駐し、その後、取り壊されました。そして一九63年(昭和38)、元在営者らによって組織された敦賀連隊史蹟保存会が、記念碑を造営しました。 この記念碑とともに残る歩哨舎は、数少ない敦賀の軍隊史跡です。
未指定文化財
所在地:桜ヶ丘