芭蕉が詠んだ敦賀の情景

 名勝「おくのほそ道の風景地」は、松尾芭蕉と弟子の河合曾良が『おくのほそ道』や『曾良旅日記』に記録した優れた風景を伝える場所を指定したもので、全国で25か所が選ばれています。敦賀では、『おくのほそ道』の「けいの明神夜参す」という記述から氣比神宮境内の全域が指定されました。

 それでは、芭蕉は氣比神宮をどのように表現したのか、『おくのほそ道』を紐解いてみましょう。芭蕉は旧暦の元禄2年(1689)8月14日夕方、旧友神戸等栽の案内で福井から敦賀に入り、唐仁橋町(現相生町)の出雲屋弥市郎の宿を訪れます。ここで宿の主人に勧められ、晴夜の「けいの明神」を参拝します。この時の様子を「月清し 遊行のもてる 砂の上」と詠み、遊行上人が整備した参道の白砂と月光の美しさを句で表現しました。翌15日は芭蕉が楽しみにしていた中秋の名月に当たる日でしたが、宿主から聞いていた「越路の習ひ、猶明夜はかりがたし」という言葉の通り雨であったため、名月を見ることが叶わず「名月や 北国日和 定なき」と口惜しい様子で句を残し、翌日に色ヶ浜へと旅立ちました。芭蕉が敦賀に滞在したのは数日だけでしたが、敦賀の様々な情景を句に残しました。

種別:名勝「おくのほそ道の風景地」(平成28 年10 月3 日指定)
所在地:曙町