
伝芭蕉所用 竹杖 敦賀市立博物館蔵 展示期間 令和7年10月13日まで
敦賀みなとの歴史と深いかかわりを持つ氣比神宮は、越前一宮、北陸道総鎮守などとされて敦賀、越前国のみならず、全国から信仰を集めた古社として知られています。その境内はかつては「気比の杜」と呼ばれるほど樹木が生い茂り、森厳とした空間であったといいます。
元禄2年(1689)、江戸を立ち、東北・北陸をめぐる旅の途上に敦賀を訪れた松尾芭蕉は、見事な月明かりに照らされた境内の様子を「松の木の間に月のもり入りたる御前の白砂霜を敷けるごとし」と記しました。そして清涼な月明かりの中に、人々の参詣の便ために砂を運んだという遊行上人の尊い業績を語り、芭蕉の心を震わせた賞賛と感動の念を「月清遊行の持る砂の上」に凝縮しています。
芭蕉が見たその月は旧暦8月14日、中秋の名月前日の月でした。我が国において月、なかでも中秋の名月は詩人にとって大切な創作モチーフでした。芭蕉も気合十分で臨んだことと思いますが、残念ながら翌15日は雨。前日、宿の主人に明日の月もこうであろうかと問うて「北国ですからねぇ、明日の天気なんてわかりません」と返されたこともまた芭蕉の興をゆり動かしたものか、気持ちの良いほどの肩透かし加減で「亭主の言葉にたがわず雨降る」と。そして「名月や北国日和定めなき」の句で結びます。
結局『おくのほそ道』の中では、輝きを放ちながら中空に登りゆく真ん丸な中秋の名月は詠まれることがありませんでした。厚い雨雲に遮られ、月光は芭蕉が佇んだ敦賀の地には届かなかったのです。それでもなお、芭蕉の心を清らかに照らした14日の月の光は、15日の無月の暗闇を透かして『おくのほそ道』を読む者の心から離れることはありません。遊行上人の尊い志が運んだ砂を照らした月光は、15日に月が出なかったからこそ、きらきらと輝きを増すのです。
三百年の時を経て読み継がれる紀行文の傑作『おくのほそ道』には「中秋の名月」は描かれなかったと理解する人もいるかもしれません。でも本当にそうでしょうか。中秋の名月を楽しみに越路を軽やかな足取りで旅した芭蕉とともに、『おくのほそ道』を読み直してみませんか。
幻の名月を求め、探す、芭蕉が誘う果てしない月の旅路が始まります。
【補足情報】
〇2025年の中秋の名月は10月6日です。
〇『おくのほそ道』に描かれた氣比神宮は国指定の名称「奥の細道風景地」また「日本百名月」に選ばれています。

