収蔵品公開展 敦賀ゆかりの絵師内海三代


イベント詳細


近年収蔵された絵画資料を中心に、敦賀ゆかりの絵師内海三代(元孝・元紀・吉堂)についてご紹介します。

展示概要

会期:令和7年12月4日(木)~12月26日(金)

会場:敦賀市立博物館 2階展示室一角・3階展示室

開館時間:9時~17時(入館は16時30分まで)

休館日:毎週月曜日

入館料:一般300円/高校生以下無料

内海吉堂筆「鷹室先生・清月孺人像」 双幅(左)

内海吉堂筆「鷹室先生・清月孺人像」 双幅(左)

内海吉堂筆「鷹室先生・清月孺人像」 双幅(右)

内海吉堂筆「鷹室先生・清月孺人像」 双幅(右)

内海元孝筆「猛虎図」

内海元孝筆「猛虎図」

内海元紀筆「出山釈迦図」

内海元紀筆「出山釈迦図」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

内海元孝 うつみげんこう

一向堂町(現・敦賀市相生町)で生まれる。京に出て円山応挙や長沢芦雪に学び、後に敦賀で絵師として活動する。文化3(1806)年、伊能忠敬が若狭を測量する際に調査資料となる郡内地図を清書した。養子の元紀(二代目)と孫の吉堂(三代目)も内海家の絵師として活躍し、郷土の画家として親しまれている。安永元(1772)年生、天保6(1835)年没。

内海元紀 うつみげんき

内海三代の二代目・内海元紀は文化9(1812)年、旭町(現・敦賀市神楽2丁目)の柴田善兵衛の長男として生まれたが、後に元孝の養子となり、内海家を継いだ。京都へ上り、四条派の岡本豊彦に師事し、その後敦賀で活動する。壮年期から晩年にかけては南画に傾倒した。明治20(1887)年没。

内海吉堂 うつみきちどう

敦賀出身の南画家。嘉永3(1850)年に内海元紀の子として生まれる。通称は鹿六、名は復、字は休卿、号は吉堂。幼少期に敦賀を出て近江の医師・小菅兎峰に漢籍を学ぶ。絵は、父の相弟子である四条派の塩川文麟に師事した。明治10(1877)年から約6年間、東本願寺上海別院を頼りに中国へ遊学し、現地の文人たちと交流した。帰国後は京都を拠点に南画家として活動した。明治28(1895)年、幸野楳嶺らとともに東本願寺御影堂の障壁画制作に携わった。京都青年絵画研究会や日本南画協会など諸団体の運営に協力し、京都府画学校にも出仕した。明治35(1902)年から翌年にかけて再び中国へと渡っている。明治30(1897)年、日本絵画協会第3回(秋季)絵画共進会「桟道高秋図」一等褒状。大正元(1912)年第6回文展「船過孟浪梯図」褒状。大正2(1913)年第7回文展「江南霞図屏風」入選。大正12(1923)年没。 (※生没年は墓碑に基づく)